隙間から見える景色(中山寺)

台風が通り過ぎたのに雨風が静まりません。夕方のこの時間(16時)深夜から雨だけだったのに風まで強くなってきました。昔台風が近づくと父が窓に板を打ち付けて部屋は真っ暗になっていました。そして必ず停電になっていましたので懐中電灯に携帯ラジオは必需品でした。そしてチキン・ラーメンもね(^^) ガスは止まりませんでした。水道が止まったという記憶は?でも美味しく食べた記憶があれが一番美味しかったです。でもあの当時の味はないですね。復刻してほしいものです。メーカーとしては毎年時代に合った味にするらしいですが。。。。。
そんな時代を過ごした昭和人が ふと思うのは45年前の景色。 近所を走る汽笛の音に誘われて深みにはまった鉄道写真人生です(^^)


PICT1424vb.jpg- - - PICT1424v.jpg

今とは違う後背の景色、植木の産地ですから植木畑と田圃です。その後継者もかな?今は大型商業地区に。
DD54の牽く下り普通と交換して大阪へと行く普通の後に付いて行きます。夜23時台に大阪駅を出て深夜&早朝のスキー場到着です。

PICT1426v.jpg

昭和45年2~3月の週末 中山寺
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Re: No title

青列車 様 いつもCMありがとうございます。この客車群懐かしいです。あれだけあった客車絶滅なんですね。J東のイベントを見るたびに羨ましいというか虚しさを感じます。 この扉の上の屋根の形、丸い蒲鉾状の屋根、暖かいものを感じます。
電車にしても直角でない丸みのある屋根、好きでした。形式は理解できませんでしたが(今もですが)もっと遠目から撮っておいてもよかったなぁ、と。まさ写真屋から戻ってくるサービスサイズでは小さすぎてわかりませんから勢い接近写真になってしまいました。
素人の浅はかさでした(笑)これがまぁ通過地点だから仕方ありませんが、目的が決まった時には彼らがもういなかったのが辛いです。鉄回りのhistoryを記録したかったです(^^)

No title

おや、この頃はまだ界隈にもスハフ32がいたのですね。蒸機時代は牽引定数の兼ね合いもあってか他線区がオハ35やオハ61主体でも却って東海道・山陽筋に結構スハ32・スハフ32がいたものでした。晩年は暖房効果の関係か却って北国での残存率が高いクルマでしたね。
後に続くのもオハ35戦後型と思いきやなかなかどうして、片や張り上げ屋根片やキャンバス張り屋根…個性の違いが出てますね。そしてその次にはレアものスハ42が2両も!しかし後年山陰本線系統では結構スハ42には出会いましたので福フチ・米イモ辺りには結構の配置数があったのかも知れませんね(^^;)
と、例によってそっちばかりに気になる私です(^^;)
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Author:郷愁紀行
現役蒸気機関車晩年に九州、北海道と夜行列車を定宿にひたすらSLを追いかけてました。しかし全廃で鉄道への興味も薄れ、JR化と家庭を持ったことで更に遠ざかりました。しかしデジカメを持った途端また写真に目覚めました!CANON:SX110ISから現在はニコンD3200に◆国鉄ノスタルジーをメインに過去の撮り貯めた写真をデジタル化しては青春時代を思い出しております。ただ大半のメモを紛失してしまい、あやふやな記憶でデ-タ-を書いておりますので正誤の程はご寛容に(^^)
【★お断り★ 著作権は放棄しておりません★ ★ ★ ★ ★ ★】
2011年1月開始

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