吹田→下新庄へ歩く

夙川でニーナ、EF200-12を撮ってそのまま吹田へ、そして阪急千里線を目指して歩きました。途中古いお寺が近所に2刹もあり方向の入り組んだ細い路地もあり伊丹の街を思い出しました。西国街道から南にずれていますが吹田の街の歴史をちょっと感じます。

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神崎川を吹田へ渡ってちょっと行った処にこんな煉瓦造りの水の流れがありました。どくどくと綺麗な水が流れていました。これも明治時代に作られた官製鉄道の名残でしょうか?
そしてこの踏切は 「支線神崎川北」と踏切に書いてありました。 電車は→下新庄へ そしてこの踏切で撮ったのがこれです
そしてこっちに向かってきたのがこれ、この先のS字カーブを曲がった所に阪急吹田駅があります。

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そして線路沿いに南に進むと神崎川に出ます。 時間はちょうど百済行きの65が牽く貨物の時間、うっかりデジイチを出すのを忘れていたのでこんな画像に。。。。。よくご覧になりますと伊丹空港へ向かう飛行機も写っています。

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2015/07/13 吹田ー下新庄  やっぱりこの橋にはマルーン・カラーが似合います(^^)
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Re: 明治初期の水路です

とんま入道 様 ここはネットで鉄道ランクinされている方のブログで紹介されていましたので気になり見に行ってきました。上流にさらにあったのですか?ひょっとしたら”いしいひさいち”さんも此所を歩いて吹田市役所へ税金を払いいに行ってらしたのでしょうか?(^^)(大阪100円生活より)
神崎川にはそんな歴史があったのですか?相川周辺もそんな感じですね?相川の駅もなかなか趣があり吹田市地図を見ていたら新京阪大橋というのがありました。興味はつきませんね(^^)

明治初期の水路です

貴重な遺跡(現役ですが)を見つけられましたね。 写真は神崎川橋梁から北の、旧土手上の踏切から50mほど北の水路かと思います。 高架化工事の影響で、線路の東側の煉瓦アーチが見えなくなったのは残念です。 昔はこの上流にも何か所かあったようです。
この煉瓦トンネルは周辺での通称「まんぼう」という官営鉄道建設時に造られた通水路です。 昔、吹田南部の神崎川流域は洪水が起きると何か月も水が引かないほど水はけが悪く、火事が起きると消火の水も溜まったままになる程言う例えで「吹田の百姓焼き豆腐」と言われていたそうです。 大水の際は現在の千里線東側(上流)と西側(下流)との間で、ここを開放するか閉じるかで争いが起きたほどらしいです。
あと、更に吹田方面に歩いていただいて、現在のJR路線に合流するかつての路盤上には、大正初期に廃止された、水路を跨いでいた橋げたの跡がアスファルトに半分埋まった状態でその姿をとどめています。 この辺り、時間をかけて歩くとなかなか面白い場所ですよ。
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Author:郷愁紀行
蒸気機関車現役晩年に九州、北海道と夜行列車を定宿にひたすらSLを追いかけてました。しかし全廃で鉄道への興味も薄れ、JR化と家庭を持ったことで更に遠ざかりました。しかしPOWERSHOT:SX110ISを持った途端、また写真に目覚めました。現在はD3200も◆国鉄ノスタルジーをメインに過去の撮り貯めた写真をデジタル化して青春時代を思い出し息抜きしております。ただ*大半のメモを紛失してしまい、あやふやな記憶でデ-タ-を書いておりますので正誤の程はご寛容に(^^)
【★著作権は放棄しておりません】
2011年1月開始

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