阪神百貨店B2横阪神梅田駅

久しく梅田で途中下車しなかったら阪神電車梅田駅横の地下2階の食堂パークがに閉鎖されていました。そこには3月28日で終了の文字がありました。そういえばもうここに寄らなくなって数ヶ月、確か冬には一度降りてきたと思うのですが、

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2014/07/04 阪神梅田 不幸中の幸いかオートに戻していなかったので1/250 f4.2で撮ってしまってました。
当然露出不足、人の顔が向いてない時を選んでシャッター切ったのですが、これがまぁどっちに転んでも良い雰囲気にOKと(^^)
それにしても券売機周辺もえらい変わっていましたね、着々と工事に向けて進んでいるようで、益々私の思い出は遠くに(笑)

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阪神百貨店西半分を、 
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このバス・ターミナルから抗癌治療していた病院へ退院してから定期診断で乗っていました。船津橋行きに乗り堂島大橋まで、大阪市バスのバス停には橋の名前が一杯あってそれはもう、情のあること(^^) この西大阪方面は海に向かうので当然ながら一杯あります。 一度まとめてみるのも一興かな。
2014/07/04






この40年前と変わらぬ建物もその姿を変えようとしています。最上階屋上にリフトが入っていますね、
ここは夏になるとビア・ガーデンになり会社の同僚と懇親会に、蒸し暑いのにそれでも楽しかったですね
そして屋上から見下ろした大阪駅、残念ながらこんなに大変化するとは思いませんでしたので写真は一枚も撮らず。
大阪駅の向こうに梅田貨物駅のヤードも見えたような見えなかったような?(笑)
日通の地球儀を模した看板が線路の向こうに見えたのが印象に残っています。
それにがっしりとした重厚な大鉄ビル(大阪鉄道管理局ビル)今のヨドバシの場所です。
そして阪神百貨店の裏には新阪急ビル(阪急8番街)そしてその横に戦後の焼け跡から
立ち上がった商店、中華料理店に麻雀屋、 中学高校の頃にはまだ残っていたような、
それに大阪城の東側には”しょうへい”工場のむき出しの錆びた鉄骨の骨組みがまだ環状線から見えていました。
(時代は正確にどうかとは検証していませんので突っ込まないように(笑))
私の思春期の残照です。


 今父の介護で疲れたときは昔を思い出し癒やしております。 BGMはFM大阪がフェスから生中継したRaymond LeFevreオーケストラのopen tapeをデジタル化したCDRを回して ホッとしております。これも40年前です。
童謡”夕焼け小焼け””雪の降る町を” 彼がジャジイにアレンジした演奏を聴いて、 なんて格好いい!
あ~良い~、 涙が出るくらい良い演奏で 心を揺さぶらされます。
アンコールの”シバの女王”もいいなぁ~、 音は凄いです。昨日のことのように思い出されます。音の力は凄いな! 歳を取らないし(笑)
蒸気機関車の音もです。蝉の声に重なる C57の汽笛、 C57の音に被さる伊丹空港から飛び上がってくるジェットの轟音。当時は実に迷惑でした。何も蒸気機関車が通る時に飛び上がってくるなんて。 今となっては貴重な音になりましたね。早く何とかせねば。。。。。。



写真よりも(^^)


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コメント

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Re: 淀川貨物駅と連絡線

スミノエ 様 レス遅れております。すみません。遠い昔の事を思い出そうとする度に楽しかった当時を懐かしんでおります。扶養家族の身の辛さ(笑)小遣いもままならず貴重な写真を撮り逃しておりました(笑)

淀川貨物駅と連絡線

郷愁紀行 様 ありがとうございます。これらのお写真も拝見しておりました。あまり発表されていない淀川貨物駅および城東貨物線からの連絡線のお写真は大変貴重なものです。私もぜひ蒸気機関車現役時代に訪れてみたかった。デルタ線が形成されていて、都会の街中しかも商店街を突っ切りD51やDD51などの大型機関車が走り、市電との平面交差(こちらは蒸気機関車・ディーゼル機関車・電車それぞれの写真が発表されています)もありと、趣味的に非常に興味のある場所です。さうざぁ様のブログも拝見しコメントさせていただいています。この城東貨物線から淀川への連絡線廃線跡は整備されて公園になっているところもあるのですが、まだ一部吹田方面への築堤が残っています。
一方、早くに廃線された玉造貨物線の方は資料に乏しいのですが、大阪環状線京橋駅から淀川貨物駅に至る線が一部築堤跡に残っているのと、京阪電車地平線跡の道路上の橋梁を下から眺めると内回り線から淀川方面へ向かう渡り線跡がはっきり確認できます。こちらは昭和36年に貨物列車が廃止された後も昭和55年まで大阪環状線から淀川電車区に行く回送電車が運転されていました。
もうひとつ貨物線とは直接関係ありませんが、玉造駅北側黒門架道橋には戦時中空襲の機銃掃射跡が生々しく残っています。鉄道省のマークともども歴史を今に伝えるものです。

Re: 猫間信号所から玉造貨物駅へ至る貨物線

スミノエ 様 レス遅れています。ご披露したい写真があるのですが年月日の確認に手間取っております。
まずは過去UPしたものより、ご覧になられたかもしれませんが こちらにリンクしておきます。タグとかを使えば簡単なようですが何分やり方が分からずそのままで(汗)
まずは 淀川貨物駅舎、
http://eyeyan.blog71.fc2.com/blog-entry-910.html

そしてヤード
http://eyeyan.blog71.fc2.com/blog-entry-911.html

京阪との立体交差から貨物駅へ
http://eyeyan.blog71.fc2.com/blog-entry-948.html

猫間信号所から玉造貨物駅へ至る貨物線

郷愁紀行 様 私は伯母の店から、京橋駅を通過して国道一号線上の橋梁を渡る蒸気機関車牽引の貨物列車を目撃しました。これについてはずっと後に、環状線完成の昭和36年4月まで玉造貨物駅から淀川貨物駅まで1日3往復の列車が走っていたことを知りました。しかし他の記憶がない私が一歳の頃の事となり、目撃列車がそれかどうかやや疑問なのです。それはともかく玉造貨物駅・貨物線について調べました。資料が少なく昭和15年頃の貨物駅の写真は見つけましたが、走行写真は見たことがありません。市電との平面交差も2箇所あり大変興味深く、当時を知る方数人のお話は伺いましたが鉄道雑誌などにも載っていません。貨物駅は列車が廃止された後も国鉄コンテナ扱い所として1970年代後半まで使用されたそうです。それについてはネコ・パブリッシングの『トワイライトゾーンマニュアル12』に記事があります。駅跡も2008年頃まで僅かに残っていたそうですが、再開発でほとんど判らなくなりました。最近も訪ねましたが、高架ホーム下にほんの少し痕跡がある程度です。それとは別に北側高架下駅舎壁面に蒸気機関車の動輪を象った鉄道省のマークが残っています。玉造駅そのものも再開発の話がありますので、これもやがてなくなるかもしれません。貨物線跡は、おそらくここを走っていたのであろう細い通りがあります。はっきりと分かるのは先述の猫間信号所跡から駐輪場の間で、僅かの区間に廃線跡らしきものがあります。

Re: 梅田繊維街と大阪砲兵工廠

スミノエ 様 足が悪くなってからはB1の立ち食いはしんどいのでいつもB2の食堂パークに行ってました天丼とうどんのセットの店、そして奥のパンと飲み物のお店、おばさんやお婆さん、夕暮れにはOLさんで賑わってましたね。ここでは調理パンとコーヒーのセット、仕事帰りに隣から聞こえる電車のアナウンスをBGMに一服してました。
駅前第一ビルの桜橋交差点側にあるマルシン・カメラでいつもフィルムを2ダース買って現像だけだしていました(^^)そしてSLが消えてここで現像機セットを買いました。あれから技術革新で写真屋さんも大変ですね。
それから旭屋さんも四つ橋通りに歩いて行くとありましたね、思い出しました。私はその並びの昭和無線で組み立てラジオの材料を買いました。日本橋まで行かなくていいので電車代節約です(^^)旭屋も曾根崎警察横は無くなったんですね
>引込み線もあったそうです。猫間信号所から玉造貨物駅
これは全く知りませんでした。野田の中央市場への線路跡はなんとか分かりますがここはどうでしょう?気になります。好奇心は膨らみます(笑)でももう若くはないし、体力がある間に、やることが増えましたね(爆)

梅田繊維街と大阪砲兵工廠

地下2階の食堂パークが閉鎖されていたとは全く知らず、今日たまたまこの駅で乗り降りしましたが、気づきませんでした。よく利用させてもらいました。復活を楽しみにしています。
阪神百貨店裏には、約700~800店舗からなる梅田繊維問屋街がありました。そのひとつが父の店でした。昭和44年に新大阪センイシティーに多くが移転し、駅前ビルはじめ高層ビル街に再開発されましたが、2003年ごろまでまだ僅かの商店が残っていました。今でも駅前ビルの地階に少し繊維を扱う店がありますが、その名残でしょうね。また旭屋書店の古い店も阪神百貨店の隣辺りにありましたね。
京橋から森ノ宮にかけての大阪砲兵工廠は有名で、小説の題材にもなっていますね。伯母の店が京橋にあったのでよく通っているのですが、私は反対側の森ノ宮電車区ばかり見ていて、そちらの記憶がありません。その砲兵工廠本館は貴重な建物で保存を求める市民運動もあったのですが、大阪市はそれを無視し昭和56年に取り壊しました。後には大阪城ホールが建っています。戦時中はそこへの引込み線もあったそうです。また昭和36年4月まで、猫間信号所から玉造貨物駅に至る線が分かれていました。現在大阪城公園駅~森ノ宮駅間に保線車両が留置されているところが、その跡地です。
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Author:郷愁紀行
蒸気機関車現役晩年に九州、北海道と夜行列車を定宿にひたすらSLを追いかけてました。しかし全廃で鉄道への興味も薄れ、JR化と家庭を持ったことで更に遠ざかりました。しかしPOWERSHOT:SX110ISを持った途端、また写真に目覚めました。現在はD3200も◆国鉄ノスタルジーをメインに過去の撮り貯めた写真をデジタル化して青春時代を思い出し息抜きしております。ただ*大半のメモを紛失してしまい、あやふやな記憶でデ-タ-を書いておりますので正誤の程はご寛容に(^^)
【★著作権は放棄しておりません】
2011年1月開始

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